もう少し前向きになってもいいんじゃない。

 

前向きという言葉を聞くと、前ばかり向いていたら肩が凝るよねと思うタイプの人間である。

しかしここ数日、数週間の私はそれにしてもあまりにも後ろ向きすぎないか?と今日になって思った。

もう少し前向きに生きてもいいんじゃない?とマツコ・デラックスが言うみたいに自分に対してそう思った。

 

毎日日記を書いている効用で、いつごろから自分のメンタルが下降しているのかが観察できる。

どうも5月25日、26日くらいからメンタルが下降しているようだ。

 

梅雨が明けてきたせいか、自分がどうしようもない人間だとしてもいいじゃないか、というよりもう仕方ないじゃないかという言葉がなんとなく心の中に芽生えてきた。

そもそもアンタ、自分に対して厳しすぎるわよ。そこまで自分を責めちゃったら、そりゃあ生きていくのが苦しいわよ。というマツコの声も聞こえてきた。

そうなのかもしれない。

というより、もう少し前向きに考えないと、ここ最近・昨日までのようなメンタルで生きていくのはしんどすぎる。

ある種の底を見たようなものかもしれない。

 

自分を恥じて、落ち込んで、消えたくなりつくすと、もうよく分からないけどこのままその思考を追いつくしても生きていくことができないと分かる。

もうちょっと前向きにならなきゃ生きていけないぜ、と自分自身に対して思うようになる。

もうちょっと自分を評価しようぜ、自分のことを認めようぜ、自分を肯定しようぜ、である。

 

私は小中高で自己肯定感を根こそぎなくした経験がある。

大学生でいる時間に、このままだと生きていけねえぞと思って試行錯誤していくうちになんとか自己肯定感を取り戻していった。

小学生のころに比べたら自己肯定感は回復していると思う。

 

けれど天候や何やらの関係で、ふいに暗闇に顔を押し付けて窒息しようとしてしまうみたいだ。

これはもはや過去が理由なのか、それとも現在がただ現在の自分に影響を及ぼしているだけなのかは分からない。

過去の感情を受け止めること

 

思い出すと悪い意味で心臓がどきどきして身体が熱くなる思い出はないだろうか。

だいぶ少なくなってきたが、私はまだ少し残っている。たぶんあと二つか三つ。

その思い出を想起すると、恥ずかしくてたまらなくなる。誰にも知られたくないと思う。

 

でもその気持ちを押しのけて隠そう隠そう、忘れよう忘れようとするよりも、そのときの自分を馬鹿だったなぁと認めてみたり、恥ずかしいことしたなぁと認めてみたり、それはそれでもそのときの自分なりに理由があったんだよね、と自分をかばってみたらいいのかもしれない。

過去をなかったことにしようと思えば思うほど、過去の傷は古くならないような気がする。

 

その傷を物語として描いてみたり、日記に書いてみたりすることで、やっと風化するというのはある気がする。

世の中には恐るべき地獄的な物語でしか解消されない傷を抱えた人がいるみたいだ。

それを考えると、自分の体験を振り返る恐怖も少しだけマシになる…ならないかな。

 

忘れたい記憶を拒否すればするほど忘れられないって人間に内在するバグだと思う。

しかしもしかするとそのバグは人間が人間である根源的なところを構成しているのかもしれないとも思う。

人間って変な生き物だな…。